ちゃいろのいぬのひとりごと

ひとりごとです。

借りパクされた本への未練について語るだけのブログ

きょうは借りパクされた本を読みたい衝動にかられながら今はなき好きだった本たちの想い出にひたろうとおもいます。

 

下記、今までに借りパクされた本です。

 

松浦弥太郎「最低で最高の本屋」

松浦弥太郎「くらしのきほん100」

・梅田 悟司「言葉にできるは武器になる」

まだあるかもだけど、この三冊以外に特に未練はない。

 

「最低で最高の本屋」

これは、若い頃、高校からの同級生の男友達からなんか面白い元気が出る本貸してって言われて貸したやつ。弥太郎さんの本屋「カウブックス」創業の歴史みたいな本で、内容にすごい衝撃を受けた記憶がある。弥太郎さんのバイタリティーに感動して、弥太郎さんのことが好きになったきっかけになった本。貸した子はいま奥さんとフランスに住んでるので、もう取り返すのは無理だと思いますね。

 

「くらしのきほん100」

これは、大学の時からの友達なっちゃんに貸した本で、なんで貸したかというと、なんかいろいろと悩んでるみたいだったので、「これ読むと仕事や生活に役立つこと書いてあったりするからいいかも!あと弥太郎さんがクックパッドに入社してから書いてるHPの内容も好きでね…」などとだいぶ食い気味におすすめした記憶がある。今考えると無理矢理貸した感もあり、ありがた迷惑だったかも。

 

「言葉にできるは武器になる」

これは言葉が大好きな自分にとって読むのをとても楽しみにしていた本だったけど、なぜか全部読まないうちに幼なじみから「読みたいから貸して」と言われるまま貸してしまった本。その友達に対しいろいろと思うところがあって、もう必要以上に関わらない方がいいかなと最近思いはじめたので、もういいやってなって、放置中。

 

この3冊の本は絶対にまた読みたいけど、もう返してもらうのはあきらめてる。

いや、買えばいいじゃん!って思うかもだけど、私は物に対して過剰に思い入れを持つタイプで、買った時の心境とか読んだ時の感動とか鮮明に憶えてて、もう一度新品を買っても「これはあの時あの状況で買ったあれじゃない」ってなるのがわかってるので、なかなか買う気になれない。厄介だけど、そんな自分のこと、わりと素敵やんって思う。

 

人生でいちばんムカついたことと救世主

わたしがこれまでの35年間を生きてきた中でいちばんムカついたことは(やっぱりどうしても父親の悪口になってしまうのだが)、父親が祖父(父親の父親)に言われて傷ついたであろうことを、一字一句違えずわたしに言ってきたことだった。

 

「おまえには徳がない」

 

この言葉だった。

その内容自体にムカついたわけではなく、自分が傷ついたときの気持ちを、そっくりそのまま自分の娘に味わわせてやろうという魂胆にどうしようもなくムカついたし、やっぱりこの父親はわたしのことが何か気に入らないのだな、と感じた。

 

昔から、どんなに頑張っても自分の内面や認めてほしいと思うことについて、父親から貶されることはあっても認められることがなかったので、父親も母親もきょうだいも居て、ごく普通の「しあわせな家庭」に生まれていながら自己肯定感と言われるようなものを感じることがあまりなかった。

 

ところでいま付き合っているひとは、私と同い年だけど三年ぐらい前に父親を病気で亡くしているので、こんなことを思うのは間違いなのかもしれないけど、わたしはどこかで「この人と一緒に居れば、もしかすると父親をもっと大切にしよう、と思えるようになれるのかも」って思っているところがある。

 

もちろん、そういう理由だけでその人を選んだわけではないけど、長く一緒にいることになりそうな人が父親の大切さを心底解っているっていうのは、自分にとってはかなり重要なことかもしれない。人が辛かった経験から何かを学ぼうとするのは違うのかもしれないけど、親を大切に思えないことでずっと辛かったし困っているし、いまでもそれは同じなので、出会うべくして出会ったのではないかな、ともすこし思うから、いろいろな話を聞いたりして影響を受けて、少しずつでも変われればいいなと思う。

 

写真はこの間行ったまるは食堂の上にあった招き猫と海老フライ。海老フライも美味しかったけど、カキフライはもっと美味しかった。

 

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次に就きたい職業のこと

あと一年半で今の職場との派遣契約が切れるのを機に、仕事を変える方向で動き始めようかな、と最近考え始めた。

 

わたしは26と28の頃にとある精神の病気にかかっている。そのせいで正社員でしていた仕事を辞めなければいけなくなったり、病状が落ち着いて職業訓練校に通ったあと就職内定まで行くも再発してダメになったりと、まぁまぁいろいろなことがあり、社会復帰というと大袈裟かもだけど、ふつうに元どおり働けるようになるまで、自分なりにけっこう大変な思いをした。

 

そんな自分の経験を活かせる仕事に就きたいなと最近は思っている。精神の病気で大変な思いをした人たちがまた普通に働けるようになるのをサポートする仕事というのがあって、そんな仕事をやってみたいな、なんて、まだぼんやりとだけど考えてる。

 

それには「 精神保健福祉士」という資格が必要で、取るには専門学校で勉強しないといけない。今の職場だと時間の関係で行きたい学校には通えないうえ、恥ずかしながらそれ用の資金もないので、あと1年半の間に貯めて、転職し、働きながら専門の夜の部に通おうかな、という計画。もう資料請求もして、「行くならここだな」と学校まで決めていて、考えてるとどんどん今の仕事辞めたくなるので危険。

 

とりあえず契約満了までは、今の仕事頑張って、満了後、仕事を変えるために勉強、という方向に自分の気持ちが傾いてきてる。

 

なんか婚活もしないといけないのに転職もしたくて学校にも行きたくててんやわんやだけど、いろいろ工夫しながら良い方向に事が進むようにしていくつもりなので、よかったら応援しててください。

 

深キョンになりたい

深キョンが好きです。

好きになったきっかけは、中学生のとき好きだった男の子が深キョンのことが好きだったからです。「神様もう少しだけ」というドラマで着てたのと似たようなカーディガン買って着たりしてた。

 

その男の子は一時期私のことが好きだったと友達から聞いたが、その前から自分でもそれを知っていた。特に話したことも全然なかったけどその子が私を好きになったのはたぶんあの時だろうなということまでわかる(バレー部でスパイクの練習をしていたときだと思う)。

 

付き合うというかお互いに好きだと言い合うことがないまま一時期両想いだったが、その子は夏にわたしの水着姿を水泳の授業で見て思ったより太っていたから嫌になったらしい。(それをわたしに報告してきた女友達もどうかと思うけど。)

 

それから私は男の人なんてみんなそんなものなんだろうと思うようになった。

 

実際大人になってからも結婚式の4次会が合コンみたいになることを知らなかったので参加したら、スタイルが良くて可愛い子への態度と私への態度をあからさまに区別してきた男の人がいてすごく嫌で泣きながら帰ったこともあったし。

 

ある時には男友達から「ちゃいろのいぬ は、『惜しい』んだよね」と言われたこともあって、よく意味がわからなかったけどどういう意味か聞けば傷つくことはわかっていたのであえて聞かなかった。

 

中学の頃は、友だち経由でもうその男の子が私のことを好きでなくなったと知ってから、私のバレー部の後輩もその男の子のことが好きだと知って、自分が好きだったことは隠してふたりが仲良くなれるように仕向けた。その後ふたりはいい感じになり、一緒に映画に行ったりしたとその後輩との文通で知った。

 

その男の子は結局、バレー部の後輩とは別の子で私の同級生だった女の子と結婚した。同窓会でその女の子が来ていたとき、友だちが「ちゃいろのいぬ ちゃんは、◯◯君のことが好きだったんだよね」とその女の子の前で言った。すごく嫌だったけど、その子には全く悪気がないので笑いながら「言わんでいいし!」と冗談半分で怒ったように見せた。

 

そんなけっこうツラめのいろいろがあってもいまでも深キョンのこと好きなのは、あの中学の頃にいやだったりがまんしたりしたことよりも、その子のことが好きだったことと、その気持ちの奥にあった、きらきらしたエネルギーのほうが、大切な記憶として心に強く残っているからなんじゃないかな、と思う。

 

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だいすきな雑貨屋さんの話

だいすきな雑貨屋さんがあって、大好き過ぎてその雑貨屋さんを運営してる会社にすごく入りたかったので無職の頃、就活をすごく頑張って28のとき入社が決まったんだけど、その時期に就活以外でもかなりいろいろ無理をしていたので精神的にだめになってしまって結局内定取消しになったということがあった。

でもいまでもその会社のことすごく好きでずっと応援しててそこで買った服とかかばんとかすごい大事にしてる。

本当ならそこで営業として活躍してたかったけど叶わずくやしかった気持ちはたぶんずっと忘れられないけどすごく応援してる。

今日またお店に行ったけどやっぱりかわいいなと思った。

本当にだいすきで愛着のあるお店なのでいつまでもずっとあってほしい。

いつかだれかとたくさんの星が観たい

去年友達と阿智村の日本一綺麗な星空を観に行ったんだけど、土砂降りで全然見えなかった。

 

星といえば山まで一緒にみにいくはずだったひとからは夏に2回デートして一緒に花火に行って以来連絡が来なくなったな。

 

浴衣を着てきてと言われたのでわざわざ浴衣で名古屋から浜松まで行ったのにな。

 

いい人だったけどわたしはあまり気が利かないし変わり者だったから嫌だったんだろうな。

まぁあれはあれで楽しかった。ひさびさにに女の子扱いされてうれしかったっけ。

 

空一面の星、高校の時のテニス部の合宿で長野県で観た以来観れてない。

いつかまた観たいんだよなぁ。

だれか一緒にみにいってくれないかな。

 

写真は夏に気に入っていたスカートと籠バッグとサンダル。あとマッチングアプリ用に友だちが撮ってくれたプロフ用の写真。

アプリやめたけど。

 

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性悪コンプレックス

私は小さい頃からすごく性格が悪い。

子どもの頃(9才ぐらいまで)のことを思い出してみると、なぜそんな嫌なことをしたんだろう?っていうことがたくさんある。

 

たとえば、小学校1年生の頃。大嫌いな女の子が居た。

その女の子は何も悪いことしていないし、守ってあげないといけないような、『よわい子』だったと思う。

嫌いだった理由は、その子は水が怖くてプールのとき先生からいつも水に入るのを手伝ってもらっていて、みんなからもたぶんやさしくされていたからだと思う。それに、怖がりなところや甘えん坊なところなど、自分に似ている部分もたくさんあって、それを隠さないところがすごく許せなかった。

ある日その子をみていて嫌気がさしたわたしは、左手で書いたラブレターをその子の机の中のお道具箱に入れた。差出人はその子を観察していて、たぶんその子が好いているんだろうな、と思っていた男の子にした。

女の子がそれに気づき、案の定不満そうな顔をしながら先生に言いつけた。

先生は犯人捜しをした。私は知らん顔をとおして、結局だれがやったかみんなにはわからないままになって終わった。

 

その頃、わたしは家で親に褒められたくて毎日勉強を頑張っていた。通知表で成績が良いと褒められるので、全教科頑張って、学校以外でも補助教材みたいなものを毎月注文してやっていて、姉よりそれを早く終わらせることに必死だった。調子が良いときはかなり早く終わらせて、ほかの教材を買ってとねだった。

勉強なんて全然好きじゃなかったの褒められたい一心で。

 

さっき書いたことは自分の中でいちばんひどいことだったなと思うことだけど、それ以外にも人に対して意地悪なことを言ったりしたりした記憶がたくさんあって、その罪悪感からか、大きくなってからは人に対して過剰に気を遣ったり優しくしたりするようになった。親しい人にお金をたくさんあげたりもした。それでもそんな人間のにせもののやさしさは、たぶん本当には人につたわらないのだと思うし、もともと悪い人間なので、そういうのってわかる人にはわかると思う。

 

性格よくなりたいなんて言いながら本当はもうとっくにあきらめていて、はっきり言って人の気持ちなんてよくわからないし、善良な人になるなんて到底無理だと思うけど、せめてほんとうにやさしい人から受けたやさしさの与え方を、形だけでも真似してほかの人に与えることならたぶん出来るので、それだけは少しずつ続けようと思っている。